2004年11月号(Vol.41)掲載 (2022年2月14日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第35回 スパイの橋
松浦 孝久

 壁に沿って森を抜けると、いきなり太い道に出る。車や観光客っぽい人たちが急に増え、にぎやか度がアップした。それまで東独の〝飛び地〟を自分一人でこっそり盗み見していたのがウソのようだ。人の流れに従って300メートルほど進むと目の前に大きな橋が現れた。有名なグリーニッケ橋だ。「統一の橋」の愛称で親しまれている観光名所でもある。橋を渡ればポツダム! と言いたいところだが、残念ながら真中あたりに境界線があり橋全体が閉鎖されている。向こう側は東ドイツなのだ。橋のたもとには遮断機やお馴染みの「西ベルリンはここまで」の看板があり、警官も歩き回っているため、ここが境界地帯であることが分かる。
 この橋が有名なのは、その形が美しいからだけではない。ソ連やアメリカなど東西の国々が、互いに捕らえた相手国のスパイなどの引き渡し(交換)を行ってきたことで、世界的に注目される橋となったのである。

グリーニッケ橋。入り口部分が閉鎖されている。遮断機の横の隙間から入ることも可能ではあるが…。
右側にはアメリカ占領地区の終わりを示す看板が立っている。

森を抜けるとこのとおり、観光客の車がぎっしり。道路向こう側の木々の間に見えるのはベルリンの壁。

グリーニッケ橋の左手にあるグリーニッケ湖。ボート遊びをしている対岸には金網と監視塔がある。

東ドイツ側にある立派な城館。かつての貴族か金持ちが所有していたものだろう。


 最初の交換は1962年。ソ連上空を偵察中だった米軍機が撃墜され(U2事件=1960年)、パイロットのフランシス・ゲーリー・パワーズは逮捕、ソ連で有罪判決をうけた。また逆にソ連諜報機関のスパイであったルドルフ・イワノビッチ・アーベルは1948年、カナダからアメリカに密入国、ニューヨークで写真店を構え、ここを拠点にスパイ網を作り上げたが、1957年に米当局に摘発され、やはり有罪判決を受けていた。米ソが協議した結果、この2人は互いの祖国へと引き渡されることとなり、62年2月10日、厳重な警戒のもと、グリーニッケ橋を舞台に交換が行われたのであった。

2人の人物は西ベルリン側の税関職員。境界線ぎりぎりの所を巡回している。
橋の上にある丸いのは東独のシンボルマーク。右手には「ポツダム」と記された金色のプレートがある。

橋のたもとから西ベルリン側を振り返ると、こんな風に見える。並んで歩く観光客の左端には警官の姿も。

川岸から見上げたグリーニッケ橋。向こう側ではためいているのは東独国旗。
船やボートの交通量も多く、この橋の下をくぐりぬけていく。

1985年6月12日には東西合わせて27人のスパイが交換された。ソ連やポーランドで摘発された米スパイが23人、そしてアメリカで捕まったソ連のスパイが4人。やはりグリーニッケ橋上で引渡しが行われた。そして3回目の交換は1986年2月11日、同様に東西のスパイが交換された。スパイばかりでなく、東独から西ベルリンへの亡命に使われた軽飛行機などの返還もこの橋を通じて行われており、東西関係とは切り離せない重要な役割を担うようになった。


 緑色の重々しい鉄骨で組み立てられている橋は、どっしりとした存在感を見せつけているが、周囲の風景とも調和していて違和感がない。太さは上下2車線分プラス両端に歩道分のスペースがある。入り口の部分で、2基の遮断機により交通が遮断されている。歩行者なら隙間から立ち入ることもできそうだ。観光地なので緊迫感もないのだが、誰もそんなことしていない。橋の中央には白線が引かれている。西ベルリンと東ドイツとの境界だ。ちょっと先の方には東独のシンボルマーク、そして「ポツダム」と書かれた金色の看板が掲げられている。

橋の左手からポツダム市街地方面を望む。工場や煙突、大聖堂のドームのシルエットが見える。

橋の右手に伸びるハーフェル川。プレジャーボートが何隻か係留されている場所。
水上に立てられた看板には「アメリカ占領地区の終わりまで約100メートル」と書かれている。

ハーフェル川でボート競技の練習をする人たち。
ボートの右上に浮かんでいる物体が東独側が設置したブイ。

ハイラント教会。壁が建物の背後にあるけれど、教会は公式には東独の領土内にある。
教会関係者の情報によると、この教会を修繕した際の費用は西ベルリン側が出したという。

ハーフェル川で対岸との距離が最も近いと思われる所。ちょうど土砂運搬船が通っている。
グリーニッケ橋から約1.5キロの地点だ。

「アメリカ占領地区の終わりまで約120メートル」。その看板の背後には遊覧船が見える。
境界線を越えないよう、こちら側の岸辺に沿うように航行している。


 橋の下は左手がグリーニッケ湖、右方向にはハーフェル川が伸びている。周辺は、こちら側も東独側も森林が広がり、かつての貴族や金持ちが所有していた立派な城館や別荘も多い。水辺には水遊びに興じるボートや釣り舟、遊覧船が頻繁に行き交い、昔も今もリゾート地であることに変わりない。グリーニッケ橋より右方向、ハーフェル川沿いを歩いてみると、船の多さに驚くほどだ。しかもレジャー用の船舶だけでなく、土砂や貨物を運ぶ船の通行も多い。混雑してるように見えるのには理由がある。川の真中に境界線があるからだ。対岸まで狭い部分で数十メートル。その半分のところに境界線を示す東独のブイや西ベルリンのブイが浮かんでいて、船はこれらのブイのこちら側を通る。言うまでもないけれど、船の殆どは西ベルリン側のものだ。「殆ど」というのは、東側所属のものが一部あるということだが、それは国境警備隊の警備艇や土砂運搬船のこと。もちろん警備艇が活動するのはブイの向こう側に限られている。そして一般の東独市民がのんびりボートに揺られて…、なんていう光景は絶対にない。そりゃ、そうだ。境界線は川の真中にあるけど、向こう側の岸辺には壁が立ちはだかっている。そもそも岸辺まで来ることが不可能なのだ。

東独のブイを避けるように進むボート。のんびり水遊びするのもいいが、気は抜けない。
うっかり越境したら東独の警備艇に捕まったりして面倒なことになりかねない。

川辺で釣りをする人たち。向こう岸で釣りをする人がいない分、釣果もあがる?

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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