2001年12月号(Vol.10)掲載 (2019年4月18日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第10回 大きなキャンバス
松浦 孝久

 ひとしきりアパート上階からの眺めを楽しんだ後、僕は再び壁に沿って聖トーマス教会の方向へ歩き始めた。トルコ系らしい地元の人たちとすれ違いながら歩いていると、前方に数人の男女のグループが壁際で何やら作業をしているのが見えた。近づくと、ペンキの缶をいくつも持ち込んで壁に絵を描いているところだった。そのうちの1人、壁アーチストとして有名なティエリー・ノアール氏も熱心に作業中だ。壁は3.6メートルの高さがあるため、脚立を使っている。ご丁寧にヘルメットを着用しているのが面白い。そっと後ろから見ていたら、気配に気づいたノアール氏、振り向いて英語で声をかけてきた。

左側の建物が、僕が〝侵入〟して上からの眺めを楽しんだアパート。歩いている女性はトルコ系の地元住民とみられる。

中央に見える高い建物が例のアパート。壁には地元芸術家らによって描かれた絵でびっしり。

前方の教会が聖トーマス教会。左手に見える白い建物は壁の向こう側、つまり東ベルリンだ。

南の方向へ歩くと聖トーマス教会が近づいてきた。壁さえ気にしなければ散歩するには楽しいコースだ。

 

「どうだい、君もやってみないか?」
 僕はペンキで汚れたくもなかったので断ろうと思った。
「壁に絵を描くのは東ドイツが禁止してるんじゃないか」
 するとノアール氏は自信たっぷりに答えた。
「そうさ、禁止されているからこそ、やるんだよ」
 そう言うと彼は刷毛を持った手を動かし始めた。「カモメ万歳!」というタイトルらしい……。「ピカソ風」にしているというだけあって、僕の「?」は尽きない。分かりにくいところも芸術のうちか。その少し先には、やはり壁芸術家として有名なクリストフ・ブーシェ氏もいる。とても穏やか印象の人物だ。ペンキで汚れた白衣を着ていて、ニコニコしている。どちらかというと挑戦的な雰囲気のノアール氏とは対称的だと思う。ブーシェ氏は自らの作品の写真などを並べた台まで壁際に置いて活動をPRしている。

壁際で創作活動に励むグループ。写真右に写っている柵が東西ベルリンの厳密な境界のようだ。
つまり、描いている人はもちろん、散歩している人たちも東ベルリンに入り込んでいることになる。

 

 2人はフランス人。1984年から壁をキャンバス代わりに積極的な絵画創作に励んでいる。ペイントするだけでは飽き足らず、壁にドリルで穴を開け、便器や洗面台を取り付けてしまったこともあった。壁に絵を描くだけなら東ドイツ当局も黙認していたのだろうが、さすがに便器の〝オブジェ〟まで作られては面子にかかわるのか黙っていられなかったらしい。「壁はドイツ民主共和国の所有物であり、傷つけることは禁止する」という見解を発表した。しかも、この〝オブジェ〟を取り外すために、東独の警備兵が壁を乗り越えてわざわざこちら側まで出て来たのだ。
 その時の様子は西ベルリン側でカメラマンが撮影していて、写真は絵ハガキに使われている。そのハガキには3枚の写真が並んでいる。1枚目はハシゴを使って4人の警備兵が壁を乗り越えようとしているところ。続いて1人がハシゴに乗ったまま、件(くだん)の便器などを調べているところ。3枚目は4人が壁のこちら側に立ち、うち1人が〝オブジェ〟の写真を撮っているものだ。4人とも壁際ぎりぎりの位置に立っているのが分かるが、自動小銃を背負っている者もいる。壁のこちら側とはいえ、少なくとも壁に面した部分は東ベルリンの領域だから、武装した警備兵が壁を乗り越えて来ても理論上はおかしくない。

 こんなこともあってノアール、ブーシェの両氏は東独側からは要注意人物としてマークされているらしい。実際、ブーシェ氏はベルリンから列車に乗って西ドイツや北欧方面へ行こうとした際、東ベルリンに入った時のパスポートチェックで引っ掛かり、東ドイツを通過するためのビザが発行されず西ベルリンに戻された経験がある。ノアール氏にしても、東ベルリンへ行こうとしてもビザが出されず行けなかったり、また東独の警備兵が例の〝オブジェ〟を撤去するために壁を乗り越えて来たときは、あわてて壁際から逃げたという。
 ノアール氏がヘルメットをかぶっているのも、単なる洒落や受け狙いではない。ちゃんと理由があってのことだと、うなづける話ではないか。東独はコンクリート製の壁を建設することで、西ベルリンの芸術家たちに白い大きなキャンバスを提供してくれた。でも、その使用料はただではなかったのだ。

ヘルメットをかぶり絵を描くノアール氏。脚立を使っているので、壁の最も上の部分にも筆が届く。

自分の作品や活動をPRするブーシェ氏。スーパーマーケットのワゴンを〝借用〟している。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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