2004年10月号(Vol.40)掲載 (2022年1月11日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第34回 東独という名の動物園
松浦 孝久

 グリープニッツ湖から遠ざかるように境界線に沿って土手のような上り坂を歩いていくと、間もなく壁の向こう側に家が見えてくる。この付近は、東ドイツの領土がコブのように西ベルリン内にせり出した、いわば〝飛び地〟になっている。そのコブは約300メートル四方で、ほんの「街の一角」という大きさでしかない。しかもこうした飛び地が2つ並んでいるのが面白い。もちろん敷地内には民家があって、ちゃんと東ドイツの人が住んでいる。当たり前のことだが、これらの飛び地の周りにも壁があって、東独の国境警備隊が監視している。土地そのものが小さいため、壁の裏側にある無人地帯も幅約5メートルという狭さ。おそらく160キロに及ぶ壁の中で最も無人地帯が薄い場所じゃないかと思う。東側の住宅も目の前だ。並んでいるのは、僕なんかから見ればうらやましいくらいに立派な一戸建てが殆どだ。おそらく戦前の金持ちの家だったんだろう。それにしても、いくら豪邸でも窓を開ければ目の前に有刺鉄線があるという環境では…。住人がどう思っているのか知らないけれど、「お気の毒です」と言うしかない。

〝飛び地〟周辺の地図。東ドイツの領域が西ベルリン内に張り出している様子が分かる。

飛び地の中にある東ドイツの住宅。戦前の金持ちの家だったらしく、立派な一戸建てが並ぶ。

無人地帯の真裏に立つ家。窓を開ければ目の前には鉄条網。
東独の公式見解では、一連の壁に関わる施設は西側からの攻撃を防ぐものだというが、信じている住人はいるのだろうか。

単なる民家とは言えないほど立派な屋敷。しかし不幸にも正面玄関は壁の真裏になるため、封鎖されているようである。
人は住んでいるみたいなので、裏口から出入りしているのだろう。

かつては金持ちが住んでいた閑静な高級住宅街。
現在でも、こんな所に住めるのは東独政府高官や党のエリートたちだけだろう。


 壁は、はっきり言って粗末な作りで、高さ1メートル50センチくらいの高さまでブロックが積まれ、その上に金網が乗っかった構造だ。金網の取り付けは実に不安定で、押すとぐらぐら揺れるほど。ちょっと力を入れれば簡単に壊れそうだ。もっとも東独としても郊外の、それも飛び地の壁まで新品に作り直す余裕はないのかも知れない。しかし、それでも無人地帯の監視体制は、それなりに整っている。幅は5メートルしかないが、うち半分くらいは土が帯状にならされていて、逃亡者の足跡を見つけやすいようにしてある。また高さ50センチほどの所に細いワイヤーが張られており、それに引っかかると警報機が作動する仕掛けもある。亡命阻止という目的は何としても果たそうという姿勢がうかがえる。

粗末な作りの壁。積み上げたブロックに金網が乗せられているだけだ。こんな壁、他の所では見られない。

無人地帯の幅は約5メートルしかない。ベルリンの壁の中で、ここが一番狭い所だろう。
左の民家は東ドイツの住宅。無人地帯の裏ぎりぎりの所にある。

狭い無人地帯。右側の赤い屋根は西ベルリン、左側は東ドイツの住宅。
通常の無人地帯にある警備用の通路はなく、軍用車によるパトロールは行われない。

この付近は板塀式の壁になっている。
写真中ほどに見えるコンクリート製の杭の残がいは、壁を作る前に西ベルリンを封鎖した際に東独が設置したもの。
右の黒い杭は西ベルリン市のものと見られる。

西ベルリンの民家の庭先。壁の手前2メートル程のところに高さ1メートルの緑の柵がある。
おそらく、そこが庭と東独との境界線だろう。

壁の穴から撮影した無人地帯。殆ど見えないくらいの細いワイヤーがクモの巣状に張られている。
亡命しようとして、これに引っかかると警報機が作動するようになっている。

これがワイヤーの先に取り付けられた警報機。
花火のようなもので、ワイヤーが引かれることで点火し、音や光が出て近くにいる警備兵に異常を知らせる。


 西ベルリン側は森になっていて所々に住宅がある。しばらく歩いていくと、こちら側が高くなって、飛び地の中がよく見下ろせる場所がある。そこからは飛び地の「メーンストリート」とも呼べそうなコンクリートで舗装された道が見える。道路脇には数メートルの草地があって、その先に家並みが続く。飛び地という特殊な条件もあって閑静だ。「おいおい、高級住宅地じゃないか」。落ち着いた住環境に思わずため息がでてしまう。通りには子供が自転車に乗って遊んでいる姿やスクーターで走る人などが見える。ベビーカーを押して歩く男性もいる。

飛び地の「メーンストリート」をスクーターで走る男性。
その後ろに見える金属製の容器はゴミを捨てるためのものらしい。こんな飛び地でも、ちゃんとゴミの回収が来るようだ。

壁の真裏にある草地で遊ぶ子供。西ベルリンへの亡命を防ぐため、普通なら警備が厳しくて近づけない場所だ。
やはりここの住人は特別待遇の人たちなのだ。

「メーンストリート」で遊ぶ子供たち。道路脇は草地になっていて、家に入るための細い道がある。
こうした土地の使い方は、ぜいたくな高級住宅地の証(あかし)といえよう。

自転車やベビーカーで通りを行く人たち。奥の方では、女性2人がベンチに座って談笑している。
だらしなく干された洗濯物が見えるが、高級住宅街には不似合いな光景だ。安アパートの裏庭といった雰囲気だ。


 そんな憧れにも似た気持ちにひたっていると、どこからともなくトコトコトコ…という軽快な音が聞こえてきた。そして間もなくこの飛び地のメーンストリートに見えてきたのは1台の白いトラバントだった。高級感あふれる住宅街と思っていたところに出現したのが東独製の粗末な車でがっかり? いや全然! むしろ60年代風のレトロな情緒を十分に醸(かも)し出す効果となっている。目の前にいる人は生身の人間なのに、越えることのできない壁で遮られているため、わずか10数メートル先の風景はまったくの別世界だ。まるで動物園でオリの向こうにいる動物を見ている感覚になってしまう。あの人たちは西ベルリン側を絶対に見ようとしないことも、映画チックなイメージを膨らませる理由のひとつだ。

突如あらわれた白いトラバント。西側の車を見慣れた感覚からすると古臭い車だ。
そのため壁の向こう側が「隣の地区」ではなく、まったくの別世界、あるいは異次元空間であることを強く意識させる。

車が飛び地を出て行くところ。知り合いだろうか、道端の人が運転手と何やら話し合っている。

家庭菜園? あるいは庭でパーティー? 週末を一緒に過ごす家族。
警備兵がいないのに、壁の裏でこんなに自由に遊べる場所は他にはない。

 「自由な西側にいられてよかった!」というのが予想されるオチだけど、今日の僕は違った。金網があって反対側に行けないのは東独側の人も僕らも同じだ。「それなら大きな家に住んでる方が一歩も二歩もリードしてるんじゃないの?」。頭がさえて考え過ぎるのも良くないと思った。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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