2004年5月号(Vol.36)掲載 (2021年9月5日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第31回 キャンプ場
松浦 孝久

 ベルリンの地図を見ていると不思議な〝地形〟を目にすることがある。いま向かっている所も、西ベルリンの境界線が東ドイツ側に食い込むように張り出した地域だ。長さ1キロ弱、幅およそ200メートル。アルブレヒツ・ティアオーフェンと呼ばれる場所で、先端部分は昔のアウトバーンが横切り、現在ではオートキャンプ場になっているという。どんな風になっているのか想像もつかないが、とにかく森の中の境界線際を歩きながら、現場への潜入を目指す。
 米軍の演習場が近くにあるためか、この森の中を行軍演習する米兵とすれ違う。重装備に自動小銃を抱えた兵士が数十メートル間隔で歩いている。「行き会う市民には愛想を」と命令されているのだろうか。すれ違うたびにニコリともせず、"Hi!" とか "How are you?" とか声をかけてくる。「気持ちはありがたいけどねぇ。1メートル80センチはあろうかという大男に怖い表情でボソッと挨拶されても…」。とてもカメラを向ける雰囲気ではない。

森の中を重装備で歩く米兵(合成写真)。
本番さながらの演習にビックリだが、市民とすれ違うと兵士たちは無愛想ながら必ず挨拶する。

森の中の境界線に東独が建てた金網。木が自然に倒れ金網を壊している。
手前にある2本のワイヤーで作られた柵は西ベルリン側のものだ。


 森が開けると、問題の地の付け根付近だ。草原が広がっていると思ったら、柵がある。牧場だ! とは言ってもベルリン工科大学の実験牧場らしく広くはない。目の前に柵があって、20メートルほど先には再び柵。その先に東独への境界線があるようで、「アメリカ占領地区はここまで」の看板が牧場の向こう側に立っている。まるで牛のために立てた看板のようで面白い。

牧場の先に境界線がある。そのため「アメリカ占領地区はここまで」という看板が、牛のために立てられたように見えて面白い。

アルブレヒト・ティアオーフェンの付け根に当たるところ。
左側の標識には、この先にキャンプ場があることが示されている。中央の看板は近くのレストランの宣伝だ。

アルブレヒト・ティアオーフェン内の殺風景な街並み。
道は広いが舗装されていないところを見ると、重視されていない地区であることが伺える。

 やがて道は川幅20メートルくらいの運河に沿うようになる。境界線は川の中心にあり、けっこう大きな船が通り過ぎたりする。建物も少なくて変化に乏しい風景だが、間もなく前方に運河にかかる橋が見えてくる。よく見ると、橋の真中あたりには壁?が立っているようだ。「もしかするとあの橋が昔のアウトバーンなのかな」。どんどん近付いて行くと、確かに「壁」が橋の中央を塞いでいる。コンクリート製で、普通の境界線に立っているのと同じタイプだが、上に丸いパイプが乗っていない。

大きな船も通る運河。前方に見える橋の上に何やら仕切り板のようなものが立っているのが見える

橋に近づいていくと、橋の上に立っている仕切り板は「ベルリンの壁」のように見える。
運河の中央が境界線なので橋の真ん中に壁を立てたのだろうか。

さらに橋に近づくと、仕切り板はやはり壁であることが分かる。
境界線に立てられているのと同じタイプのコンクリートの壁だ。ただ上部にパイプが取り付けられていない。

手前の橋は旧アウトバーンのものと見られる。
その先に見える橋は、東独の検問所への入り口部分にあたる。東独が監視用に架けた橋と思われる。


 橋の手前、運河の岸辺ではキャンパーたちだろうか、のんびりと釣りを楽しんでいる人が多い。たいして川幅も広くないし、まして運河だ。何が釣れるのかも分からないけれど、そんなことはかまわない。悠々と時間を過ごすのがドイツ流の休暇の過ごし方なのだ。

釣堀みたいに見える運河で、のんびり釣り糸を垂れる暇な人達。
彼らにとっては監視塔や境界線は意味のない存在。静かに過ごせることの方がずっと大切みたいだ。

 その先のオートキャンプ場を覗いてみよう。旧アウトバーンの上だ。柵の向こうにキャンピングカーが何台も並んでいる。それらの車の隙間から数十メートル先に壁が見える。場内には西ドイツの国旗が立っている。キャンプ場の反対側にも片側2車線のアウトバーンは続いて、舗装の隙間からは木々や草が生えている。そして、やはり50メートルくらい先には壁がある。アウトバーンは壁ができた頃までは使われていたらしく、道路際に当時の標識が残っている。米英仏の共同検問所が27メートル前方にあることを示すものだが、今では27メートル先にはキャンピングカーが数台置かれている。標識の表面の塗料は殆どかすれていて文字を読み取るのも難しいくらいだ。古いものを意図的に残してあるというより、誰も関心を持たないから単に放置されているだけなのだ。

旧アウトバーン上のキャンプ場。右手の色あせた看板は、27メートル先に米英仏の共同検問所があることを示している。
誰も関心を持たなかったことで、20数年間も壊されることもなく無事に立ち続けているのだろう。

キャンプを楽しむ人達の姿が見える。
キャンピングカーが随分と詰めて置かれているところを見ると、長期の滞在のようだ。それともここに住んでいるのかな。

舗装された昔のアウトバーン上に並ぶキャンピングカー。その間から壁が見える。

舗装の隙間から草が生え、道路際には木が茂る。路上の白線も薄れて消え入りそうだ。
壁建設という政治的な事情により、立派なインフラが意味のない存在になるのはもったいないと思う。


 洗濯物が干されている。長期滞在する人もいるようだ。確かに周辺は静かで落ち着けるけど、近くには目立った施設もない。一日中ずっと釣りをするわけにもいかないだろうし、「いくら暇好きなドイツ人でも退屈するんじゃないの?」っていうのが正直な感想だ。

洗濯物が干してあるところを見ると、かなり長期のキャンプ生活じゃないかと思う。
そもそもドイツ人が洗濯すること自体珍しいのだから、少なくとも2~3日程度の滞在ではありえない。

 さて、来た道を戻ろうと運河伝いに歩き始め、釣り人の邪魔をしないようにと少し奥まった所を歩こうとしたら、草むらの中にひっそりと隠れるように十字架が立っているのを見つけた。高さ1メートルくらいだろうか。木でできている。黒っぽくて朽ち始めているようにも見える。今でこそ長閑(のどか)な場所だが、かつて東独から西ベルリンへ命がけで脱出しようとした人がいたんだ。そして実際に命を落とした。運河を渡り切る前に銃撃されたのだろう。キャンパーたちの気楽な休日と亡命者の悲劇。相反するものが同居するのが当たり前のベルリンだが、それで逆にバランスが取れているのかも知れない。

釣り人のすぐ近くの草むらには十字架が立っている。
きっとここでも東独から西ベルリンへの亡命を目指しながら、警備兵に銃撃され命を落とした人がいたのだろう。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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