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2003年11月号(Vol.31)掲載 (2021年3月23日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
このあたりは西ベルリンの南端でもあり、壁の向こうも草原が広がるばかりで何もない。東ドイツ側の国境警備隊も緊張感のある警備体制を敷いているようには見えない。壁の西ベルリン側には細い道があるけれど、地元の人が散歩する程度。まるで時間が止まったようだ。ただ歩くだけでは退屈かも知れない。この辺の壁は古く汚れた板塀式のものが殆どで、今にも倒れそうだ。壁の上には、亡命者が壁を越える際に手をかけにくくするためパイプが取り付けられているのだが、そのパイプも留め金が外れそうだったりする。
そんな風に救いようのない状況だけど、この地域の壁には実は意外に重要な事実があったりする。しばらく歩くと、幅10メートルほどの道路が壁の中に吸い込まれていくように見える所に出くわす。ケルン通りという道だが、いきなり壁で寸断されるのではなく、草むらや背の低い金網があり、その向こうに壁があるので、CDの音楽が少しずつ小さくなって終わるようにフェイドアウトしていく感じだ。道路が壁で途切れているのはベルリンでは常識的な風景だが、このケルン通りはちょっと意味が違う。かつて西ベルリンで排出された廃棄物(ゴミ)を東ドイツへ捨てに行くために使われていた道路だったという。確かに、壁で仕切られた密閉都市・西ベルリンは、産廃や生ゴミを焼却した灰を山積みにできる場所はなく、東ドイツに頼んで捨てさせてもらうしかない。もちろん西ベルリンは費用を払っているはずだ。金額は分からないけれど、「相当ふっかけられてるんだろうな」と思う。西ベルリン、足下を見られっ放しかも。
その後、ゴミ捨てのルートが変更されたため、この道路は使われなくなって壁で寸断されてしまった。新たなルートはこの先7~8キロの住宅街にある。周辺には木が茂る閑静な街並だ。木々の間を貫くキルヒハイン通りを大型トラックが廃棄物を満載して走り抜け、いとも簡単に壁を越えて東ドイツへ入って行く。トラックの出入りも頻繁に見られる。西ベルリン側にはトラックの運行をチェックする小さな管理事務所が1棟あるだけだ。東ドイツ側は、まず境界線上に「特別許可証のある車両以外は通行禁止」の標識のほか、信号機、ちょっと先には「駐停車禁止」「制限速度60キロ」といった標識も立っている。
そして、入り口から100メートルくらい先に監視塔が見える。監視塔までは道路の両側に壁やフェンスがあって、周囲の無人地帯と隔離されている。意外なのは出入り口を閉鎖するためのフェンス。工場や駐車場の出入り口にあるような簡単な柵なのだ。亡命阻止に躍起になって、あらゆる措置を取る東ドイツが作るものとしては驚くほどあっさりしている印象だ。「逃亡者には発砲もするのに、こんな門で大丈夫なの?」という違和感が頭を離れない。しかも東ドイツ得意の監視用テレビカメラも付近には見当たらない。
西ベルリンは東ドイツという社会主義圏の中にポッカリ浮かぶ孤島のような存在だ。それだけに、西ドイツやアメリカなどの西側にとって西ベルリンを活性化させることは戦略上とても大切なことであり、財政支援といった様々な糧(かて)を西ドイツという外界から与えられている。食べて栄養を吸収したら残りは出す――。この自然界の法則は、動物だけでなく、孤立都市・西ベルリンにも十分通用している。ちゃんと排出する機能、器官。そう、今僕が居るところが、それにあたるのだ。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |