本文中のテキスト、画像の著作権は執筆者に帰属しています。 テキスト、画像の複製、無断転載を固く禁じます。
2001年7月号(Vol.5)掲載 (2019年1月25日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
住宅街に突如現れた「ハインリッヒ・ハイネ通り検問所」。その全景を見てみたくなった僕は近くのアパートの階段を上って、踊り場の窓から顔を出し、東ベルリン側を眺めてみた。すると、「おぉー。検問所の様子が手にとるように分かる!」。しかも周辺は住宅街なのに、先の方には東ベルリンの中心街が広がっていて、アレクサンダー広場のテレビ塔やベルリン大聖堂など有名な建物が見えるではないか。その眺めに感激してしまった。
眼下に目をやると、検問所があるのは片側3車線の立派な道路だ。ただでさえ広い道路なのに、道路に面した部分も検問所の敷地になっている。「こんな街中で、ぜいたくな土地の使い方だな」と愚痴のひとつもこぼしたくなる。壁を通り抜けて検問施設まで数十メートル。壁を通り抜ける部分は、トラック1台が通れるギリギリの狭さ。その両側は通常の壁より厚いバリケードになっている。おそらく中身は積み重ねられたコンクリート板だが、さりげなくトタン板で覆ってあり、障害物であることをカムフラージュしている。検問施設までの車路にもコンクリートブロックが置かれていて、車は嫌でもジグザグに進むようになっている。いずれも車両で突破することによる亡命を防ぐ措置だ。過去には実際に、検問所や壁で、バスやブルドーザーによる強行突破が試みられている。
この検問所を通行できるのは西ドイツ人だ。ベルリン市民や我々外国人は使えない。そのためか貨物を運ぶトラックなどの出入りも見られる。東西ドイツの貿易の一部が、住宅街の真中を通じて、ひっそりと行われているのだ。こうした貨物を扱うため、ここでは西ベルリン側にも検問所、というか税関のような施設がある。もちろん東側の施設より簡素だが、出入りする貨物の点検を行っているようだ。西側は、東側から逃れてきた亡命者は手厚く保護するが、密輸は厳しく摘発するという。東ベルリンから西ベルリンに入る外交官が、西側で高く売れる特産品を、外交特権を生かし大量に持ち込むことがあるからだ。ソ連のモスクワに駐在するある国の大使夫人は、東ベルリンを経由して西ベルリンに入った際、持ち込もうとしたキャビア32キロ、約100キロの銀貨、イコン65種を押収されたという。
検問所右手は、西側も東側も同じような形、高さのアパートが立ち並んでいる。外壁の色までアースカラーで似ているので、壁さえなければ違和感のない街並みだ。西側アパートの踊り場から見ると、壁の裏は約15メートルほどが警備用の無人地帯になっている。
その中には警備兵が行き来するアスファルト道路があり、鉄条網がある。もちろん一般市民は絶対に立ち入れない。そして何と鉄条網の真後ろにアパートが立っている。住人はどんな思いで生活しているのだろう。窓の前に鉄条網。自分の世界が閉ざされている、と感じているのだろうか。 まさに、近くて遠い世界が目の前に広がっている。
このアパートのように境界近くの住居に住んでいるのは、亡命しそうにない人、あるいは既に退職していて亡命しても東独の産業に影響ない人だ。つまり高齢者だ。と思っていたら、次の瞬間、僕は目を疑ってしまった。目の前の光景に思わず叫んでしまった。「そんなのありかー???」
執筆/画像提供 松浦 孝久 |