そしてクリスマスのお話は、クリスマス商品業者が生み出したファンタジーではなく、聖書という書物の中に記述されている出来事です。
聖書は大別すると、「旧約聖書」と「新約聖書」の2部に分けることができますが、「旧約聖書」にはユダヤ教の始まりからキリストが生まれる前までのことが記され、「新約聖書」にはキリストの生誕からキリストの死後と、その後のキリストの直弟子の活躍の様子までのことが記されています。
ということは、クリスマスに関するお話は、新約聖書の前のほうに書かれている・・・と想像しそうですが、そこがちょっと複雑です。
聖書は、「旧約聖書」と「新約聖書」に分かれていますが、「旧訳」「新訳」ではなく、「旧約」「新約」です。
訳が新しい、古いと言うのではなく、「古い約束」、「新しい約束」という意味です。
ということは、ある約束があって、それが果たされ、新しい約束が生まれたということになります。
ということは、聖書は、書かれた時代の人たちにとっては予言書であり、旧約聖書で新約聖書時代のことを予言し、新約聖書は新約聖書以降のことを予言していることになります。
ですが、よく読むと、聖書の中には「予言」という言葉は使われず、「預言」という言葉になっています。
これは、水晶玉の中を覗いたりして先のことを予知する「予言」ではなく、「神から預かった言葉」という意味で、神から指名された人物が、神に「書き記せ」と言われて神に代わって書き記したという書物ということであり、要するに、「ここに書かれているのは『予言』ではなく『預言』であるから『予告』であって、『当たるも八卦』ではなく、当然そうなりますよ」・・・ということです。
・・・と、ウダウダ書いておりますが、要するに、クリスマスのお話は新約聖書で起こることを預言した旧約聖書から始まるのです。
以下が聖書の中のクリスマスです。聖書をお持ちの方は以下の箇所をひもといてみてください。
聖書をお持ちでない方は「more」をクリックしてお読みください。
クリスマスの預言
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旧約
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イザヤ書 第7章
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その名をインマヌエル
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旧約
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イザヤ書 第9章
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ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた
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旧約
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イザヤ書 第11章
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エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
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旧約
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イザヤ書 第53章
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誰が信じえようか
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旧約
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エレミヤ書 第23節
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このような日が来る
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旧約
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ダニエル書 第7章
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見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
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旧約
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ミカ書 第5章
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イスラエルを治める者が出る
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マリアに起こったこと
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新約
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ルカによる福音書 第1章
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天使は、彼女のところに来て言った
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夫ヨゼフに起こったこと
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新約
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マタイによる福音書 第1章
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イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった
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キリスト生誕の背景
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新約
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ルカによる福音書 第2章
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最初の住民登録
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羊飼いに起こったこと
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新約
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ルカによる福音書 第2章
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野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた
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3人の博士たちに起こったこと
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新約
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マタイによる福音書 第2章
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占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て
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通読してお気づきの通り、12月25日に救い主が生まれたとはどこにも書かれていません。
なのに、 この日にクリスマスがお祝いされるようになったのは、クリスマスが祝われ始めた当時は、この頃が冬至であり、「夜の長い冬=暗闇=絶望」のなかに「春の訪れ=希望=救い」が現れるという意味で、ヨーロッパの人々がこの時期に重ねたのだと言われています。
そして、クリスマスが12月25日であるのに、24日の夜を「イヴ/前夜」としてお祝いをするのは、生誕が24日から25日にかけての夜中で時間がはっきりしていないこともありますが、ユダヤ教の日没から翌日として計算する習慣からきているとも言えます。ユダヤ教では、「12月25日」は、24日の日没から25日の日没まで、「12月25日の夜」は、24日の日没から25日の日の出までを指すのです。 |