追悼 外林秀人氏

 

 ベルリンに最も永く在住する邦人のひとりである外林秀人さんが、2011年12月28日に、お亡くなりになりました。
 外林さんは元ベルリン工科大学の物理化学教授であり、広島で被爆なさった体験の語り部として、ドイツでも広く知られている方でした。

 このページでは、べるりんねっと789に寄せられた追悼文・弔辞を掲載いたします。

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お手伝いできたことを本当に喜び、感謝して 、、、。
石彫家 藤原信

 2009年1月23日、ノルウエーの作業場に旧知の外林先生から突然の電話で相談があった。1972年来のおつきあいである。静かに話される先生の意図の大きさと重さにまず驚いた。相応の広場の構想がすぐには浮かばない。

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外林さま
西林ハルエ

 御冥福をおいのりします。
 私たちの結婚の仲人さんでした。(1970年)いつもレストラン京都を見守ってくださり有り難うございました。西林が亡くなったときはすぐに病院にかけつけてくださりDr 溝辺、Dr中村 さんたちと、立ち会ってくださりとても、心強かったです。この度は、入院してた事も知らず申し訳有りませんでした。どうぞ、安らかにお眠りください。


 
追悼・外林秀人先生
ジャーナリスト 中村真人

 2011年12月30日の夜、外林秀人先生の訃報の知らせを受け取った。ここ数ヶ月、ご無沙汰していたとはいえ、「先生のメッセージはこの時代においてますます重要な意義を持つものと思います」と書いてご自宅にクリスマスカードをお送りしたばかりだった。私は愕然とした。

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 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
べるりんねっと789

 
外林先生
東京理科大学理学部化学科 准教授 渡辺量朗

 べるりんねっと789の外林先生の訃報の記事を拝見いたしました。
 謹んでお悔やみ申し上げます。
 外林先生に初めてお会いしたのは2004年6月4日の在独日本大使館での「在独研究者ネットワーク 情報交換・懇親会」においてでした。外林先生が「『ドイツの原子力物語』を中心に」というタイトルで招待講演されました。ちょうど語り部活動を始められた頃だったと思います。

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外林先生の思い出
福沢啓臣

 今でも先生の「なんちゅうかね」というヒロシマ弁が耳に残っている。
 先生への個人的な思い出を断片的だが、綴ってみたい。
 先生との出会いの場は、日本関係のイベント(日独センターのシンポジウムが多かった)か、ヒロシマ関係の平和、反原爆の集会か、映画館「アルゼナール」の中だった。時々電話も頂いた。

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悲しい報せ
フリーライター 六草いちか

 悲しい報せが入った。
 外林秀人先生が亡くなった。
 外林先生は、ベルリン工科大学の物理化学教授だった方。16歳のとき広島でに原爆を体験されたが、家族の反対があったため、長年、あの日の体験を語ることをしなかった。そして家族が望んだ「言わないでほしい」という期間が過ぎてから、ドイツで語り部として活動なさるようになった。それは近年、ドイツのメディアにも大きく取り上げられ、今年3月27日のターゲス・シュピーゲル紙にはインタビュー記事が大きく報じられ話題となった。

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