この邸は、プロイセン王家であるホーエン・ツォーラン家の最後の建築物として、1917年、建築家パウル・シュルツェーナウンブルクによってイギリス風別荘建築として建てられました。城主であるヴィルヘルム皇太子とこの邸の名前ともなったツェツィーリエ妃、そして二人の間にあった4人の息子と2人の娘の家族は、1945年までここに住んでいました。

 1918年11月の革命の後、皇太子はすべての政治的業務から退かなければならならず、ヒットラーとの会談の場も数度と持たれましたが、ドイツ君主制を再興することは叶いませんでした。そして第二次世界大戦が終る直前、皇太子一家はポツダムのこの土地を追われ、西ドイツへと移ることになりましたが、この邸はそのすぐあと、歴史的にも有名なポツダム会談の場として使われることになりました。

   
 このツェツィーリエンホーフでは、皇太子時代の様子とポツダム会談の模様が同時に分かりやすく展示されています。 特に会談に使われた部屋は、この邸の中でも一番大きな、皇太子家族の居間で、その内装は、大きなガラス窓、ダンツィッヒ市より贈られた素晴らしい彫刻の施された樫ノ木の階段、またその上に広がる演奏桟敷と見事なもので、その歴史的現場ということも併せて、必見です。
   

 また、この邸の隣りはホテルになっており、昼食のメニューは特にお勧めです。オシャレをしておいでください。

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