《 壁とその歴史 》 

 ベルリンは第二次世界大戦後、反ヒットラー連合であった勝利国、ロシア、フランス、イギリス、アメリカの4ヶ国によって、4占領地区に分割されました。 その後、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(DDR)に、国が二分されることになり、ベルリンのフランス、イギリス、アメリカの占領した土地は、東ドイツにすっぽりと囲まれる形になってしまいました。

 40年代、50年代はベルリンをめぐっての緊張が続き、1961年8月6日、ワルシャワ条約加盟国の指導者たちがモスクワで協議をした結果、「西ベルリンの情勢整備」が決定されましたが、それは「西ベルリンとの境界線で、有効なチェック体制を設ける」という内容で、発表されることはありませんでした。

 
 そして、8月12日から13日にかけての深夜、国家人民軍が召集され、13日20時ごろには東ドイツと西ベルリンの境界線の封鎖が始まりました。そして翌14日から1989年11月9日までの28年間、ベルリンは壁によって閉ざされることになったのでした。


壁の穴からのぞくと壁があった

《 壁データ 》 

・ ベルリンの壁の全長155km。
・ コンクリートの壁は高さ4m。
・ 監視塔300箇所
・ 壁によって切断された交通網・・・
      市内電車8路線
   地下鉄4路線
   道路193本
・ 壁を越えての逃亡を試みた人々・・・
      (西側の知るかぎりのデータ)
      逃亡した者5043人
      国境にて逮捕された者5221人
      死者80人(うち射殺60人)
      火器による負傷者118人


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