この通りは、大ベルリンの東西を横断する大動脈で、『古き良きベルリン』時代にはシャルロッテンブルガー通りと呼ばれていました。

 1953年6月17日、東ドイツで起こった市民運動をソ連軍が武力制止したことによって、たくさんの犠牲者を生み出し、それに抗議して、この通りが「6月17日通り」と改名されるようになりました。

 まだ壁のあった時代、この日は祝日とされ、毎年この通りでは、西ベルリンの占領軍による軍事パレードが行なわれていました。

 今では軍事パレードも「6月17日通り」というその名の由来のことも語る人が少なくなり、戦勝記念塔の立っている通り、週末に、SバーンTiergarten駅の西側に蚤の市や芸術家市が立ち、観光客で賑わう大通りということで有名です。

 

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