本文中のテキスト、画像の著作権は執筆者に帰属しています。 テキスト、画像の複製、無断転載を固く禁じます。
2004年4月号(Vol.35)掲載 (2021年7月15日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
このあたりまで西も東も住宅街になっているが、ここから境界線は森に突入する。人がすれ違えるくらいの散歩道があるのだが、境界線のある側には約60センチの高さにワイヤーが張られた柵があって、壁の方には近付けない。これを乗り越えて境界線際まで行ったにしろ、どうせ壁が立ってるだけだろう。そのまま遊歩道に沿って西の方向に歩きながら2キロほど森林浴を楽しむ。すると突然、前方に開けた場所が見える。橋になってるようだ。自転車を止めて欄干にもたれて景色を眺めている人々がいる。
橋の下を覗き込んでみると、10メートルくらい下を高速道路(アウトバーン)が走っている。これは西ベルリンから東ドイツを通り西ドイツへ行く道路だ。道路脇の行き先案内板によるとハノーファー266キロ、ニュルンベルク425キロなどとなっている。橋の下の西ベルリン側には米・英・仏の共同検問所がある。実はこの検問所はチェックポイント・ブラヴォーと呼ばれているものだ。東西ベルリンの境界にあるチェックポイント・チャーリーはよく知られた検問施設だ。橋の上から西ベルリン側を見ると確かに「チェックポイント・ブラヴォー」と書かれた看板も見える。高速道路の料金所みたいになっていて、身分証明書をチェックするためだろうか、通る車を止めている。 ブラヴォーとかチャーリーというのはアルファベットの識別符号で、ブラヴォーはB、チャーリーはCを表す。つまりここブラヴォー(B)は2番目、そして有名なチェックポイント・チャーリー(C)は3番目の検問施設であることを示している。では1番目のチェックポイント・アルファ(A)はどこかにあるのだろうか。それは、このアウトバーンで東ドイツを通過し、西ドイツへ入った所のヘルムシュテットにある。
面白いのは、橋の上に西ベルリンと東ドイツの境界線があるため、橋の真中付近に白線が引いてあり、ご丁寧にも鉄柵が置かれていることだ。橋のすぐ東ドイツ側にはビデオモニター用のカメラがこちらをにらんでおり、橋の上の動きが監視されていることが分かる。アウトバーンは東独側へ向かってぐっと右へカーブしていて、検問所はこの先数百メートルのところにある。カーブするあたりの所、道路左手に監視塔が立っている。その隣にやや低いコンクリート製の〝台〟があって、なんと上には戦車が鎮座している。はっきりとは見えないけれど、おそらくソ連のT-34型戦車ではないかと思う。というのは終戦直前にソ連軍がベルリンに侵攻した際、最初に市内に入ったとされるT-34型戦車が、西ベルリンにあるソ連戦勝記念碑の横に飾られているからだ。きっとそれと同じように、ここにある戦車も、西ベルリンを出て行く人々に対してソ連の国威、存在感を見せつけようというのだろう。というか、そんな甘いものじゃなく、「我々は武力をもって西ベルリンを包囲しているぞ。いつでも攻撃できるぞ」という脅しなのかも知れない。
あまり知られていないと思うが、西ベルリン市内からこのアウトバーンを通って東ドイツ側の検問所までを結ぶバス路線がある。運営しているのは、地下鉄やSバーンや通常の路線バスを走らせている西ベルリン交通公社。ただし一般の旅行者向けの路線ではなく、東ドイツから西ベルリンを訪れたり、その逆のケースもあるが、地域に住むお年寄りら東独政府の許可を受けた人たちが主に利用する。たいていは親類や友人を訪問するために使うという。ここから1キロちょっと北西にいったヴァンゼーという鉄道駅の前にある西ベルリン側の停留所に行ってみた。バスの路線名は「E」。行き先は「ドレーヴィッツ」という東ドイツ側の検問所だ。バス停には注意書きがしてあって、このバスに乗るには東独の許可証が必要、とある。ちょうどバスが発車するところで、乗客がたちが続々と乗り込んでいく。西ベルリンを訪れていた人、これから東独を訪問する人…。バスの前で別れを惜しむように抱き合っている人々もいる。行き先は隣町なのに〝別の国〟でもあるのだ。見た目は普通のバス停と変わらないけれど、空港の国際線搭乗口と同じ重みがあるとも言える。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |