2003年12月号(Vol.32)掲載 (2021年5月27日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第28回 お役所仕事発見
松浦 孝久

 いま歩いているのはベルリンの最南部にあたる地域だ。西ベルリン側は一戸建ての住宅が並んでいたり、あるいは畑や森や原っぱになっていたりする。壁で寸断されている道路に「マーロウまで2キロ」という標識が立っている。標識は壁の手前にあって、しかも寸断された道の真中に立っているうえ、壁の手前には柵がある。標識も柵も西ベルリン市当局が設置したもののようだが、先へ進めないのが分かっていながらわざわざ標識を立てる。西ベルリン市が意地になってやっているとしか思えない。意地になるのはいいけれど、こんな人の少ない、地元民しか歩かない場所では無駄じゃないかと思う。世界中から観光客が訪れるブランデンブルク門のような所でやれば演出効果もあるというものだが…。おまけに頑張った甲斐もなく、標識は無残にも落書きされたり、傾けられたりしている。市民の理解も得られず、「西ベルリン版・お役所仕事かな」というのが正直な感想だ。
 意地といえば、道路名を示す標識もそうだ。ドイツでは細い路地に至るまで、道路には名前がつけられている。壁で途切れた道なき道、特に夏場は草に埋もれるような壁際の道も、ちゃんと名前を持っていて、道路名を示す標識もしっかり立てられている。ここで見つけたのは「ベートーベン通り」と記されたもの。場所に似合わないほど立派な名前がつけられているが、これは仕方あるまい。

「マーロウまで2キロ」と記された標識。道路の真中に立っているところを見ると、市当局がわざわざ設置したようだ。

こんな草ぼうぼうの中にも道路名を示す標識は立つ。風景に似合わぬ「ベートーベン通り」という立派な名前。

森の中の壁。こちら側は森でも、東独側は監視しやすくするため木を伐採している。

〝忘れ去られた道〟
あるいは
道の終点〟
といった趣(おもむき)。

木が茂る西側の壁際は昼でも暗い。(ストロボをたいて撮影)

木がうっそうと茂る。この先にかつて道が続いていたなら、石畳の上に木が生えていることになる。
植物の強さを感じる。


 壁越しに監視塔が見えた。上部に監視室があって中に警備兵が詰めているのだが、1人しか見えない。兵士自身の逃亡を防ぐため、必ず複数で警備にあたるはずだ。「おかしいな」と思ったら、他の1人はなんと監視室の屋根の上で日光浴をしていた。さすが〝辺境〟と言うべきか。ベルリン中心部と違って、このあたりでは壁の向こうの東独側は一面の草原地帯。そもそも亡命者が見つからずに境界地帯に近付くこと自体が困難なので、自然と警備ものんびりしたものになるらしい。
 日光浴中の警備兵の写真を撮ってやれ、と思ってカメラを構えようとした。すると、望遠レンズに交換している僕の気配を感じたのか、サッと隠れてしまった。監視室から屋根に上がるためのフタ(ハッチ)の後ろに身を潜めている。そこから、そーっと顔を少しだけ出して僕の様子をうかがっている。そして今度は監視室の同僚から双眼鏡を受け取って、じーっと僕を観察し始めた。彼らは西側から撮影されることにはかなり神経質だ。特に屋根の上でのん気に日向ぼっこなんかしていたところをうっかり撮られて西側のメディアで発表でもされたら、本人にとっては一大事だ。東独では任務放棄とみなされて厳しい処分を受ける恐れがあるからだ。その後の人生が破たんする可能性すらある。

写真を撮ろうとしたら隠れた警備兵。用心深く僕の様子をうかがっている。
カメラに対しては神経質になるのが警備兵の常だ。

双眼鏡で顔を隠しながら僕をチェックする警備兵。「写真を撮られたらどうしよう」、とビクビクしてるかも知れない。

人通りは少ない郊外だが、物見台は所々に作られている。

監視塔の手前には軍用車が警戒にあたっている。郊外ではあっても監視の体制は厳重だ。

シェパード犬を6頭も連れて自転車で散歩する女性。リードなしでシェパード6頭とは…。

「あなたはアメリカ占領区を出るところです」
と記された米軍の看板。
「どうやって?」
と落書きされている。
壁があるのに、どうしたら出られるのか、という意味。

夏場は草が生い茂る壁際。壁に落書きするなら夏以外の方がいい。

黒いつなぎを着ているのは、壁に関係する仕事をする作業員。
無人地帯の掃除などを終えて戻ってきたのだろう。

畑はともかく、壁際に生い茂る草はむさくるしい。

壁際を自転車でいく男性。左手の道路標識は、壁際の細い道は自転車以外の車両は通行禁止であることを示している。

壁際のスペースを利用して落ち葉を積み上げている。堆肥にでもするのだろうか。

こちらは木の枝などを収納。厳密には壁際のスペースは東独の領土だが、この程度の利用は東独側も黙認している。


 しばらく行くと駐留米軍の演習場が出現、壁際は歩けなくなるので迂回せざるを得ない。この演習場は東西南北に1キロ以上の広さがあって、壁際にピタリとくっついている。ベルリンでは人里離れた所で、広いスペースが取れるのは壁際くらいしかないことが分かる。敷地は「実弾使用」「立ち入り禁止」といった警告標識とともに金網で囲われている。さぞや厳重に警戒されているかと思ったら、基地の出入り口でよく見かける遮断機付きのゲートのような設備も、見張りの兵士も見当たらない。物々しい雰囲気はないのだが、ドンパチしている音も聞こえてこないし、中でどんな演習が行われているのか知る由も無い。演習の内容より、この先2キロは壁伝いに歩けないことの方が僕にとってはずっと残念だ。

米軍演習場近くの道路標識。軍用車、警察、税関の関係車両以外は通行禁止。英・独語で書かれている。自転車の通行は可能だ。

米軍の演習場。風向きの関係で星条旗が裏返っている。

演習場の入り口。「実弾注意」の警告も見える。

壁際で新築中の家。少なくとも壁がある側は人が住んでいないので静か。
日常生活での静寂を重視するドイツ人のニーズには合っている。

壁の向こうに一面に広がる草原。
身を隠す障害物がないので、亡命者が監視塔に見つからずに突破することは困難だ。

東独側、無人地帯の向こうに農家らしい民家が見える。

郊外で何もないような場所だが、アメリカ占領区の終わりを示す大きな看板がある。

壁は左手に湾曲しているため、写真右手前方に見える10階建てくらいのマンションは西ベルリン側の建物だ。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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