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2003年12月号(Vol.32)掲載 (2021年5月27日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
いま歩いているのはベルリンの最南部にあたる地域だ。西ベルリン側は一戸建ての住宅が並んでいたり、あるいは畑や森や原っぱになっていたりする。壁で寸断されている道路に「マーロウまで2キロ」という標識が立っている。標識は壁の手前にあって、しかも寸断された道の真中に立っているうえ、壁の手前には柵がある。標識も柵も西ベルリン市当局が設置したもののようだが、先へ進めないのが分かっていながらわざわざ標識を立てる。西ベルリン市が意地になってやっているとしか思えない。意地になるのはいいけれど、こんな人の少ない、地元民しか歩かない場所では無駄じゃないかと思う。世界中から観光客が訪れるブランデンブルク門のような所でやれば演出効果もあるというものだが…。おまけに頑張った甲斐もなく、標識は無残にも落書きされたり、傾けられたりしている。市民の理解も得られず、「西ベルリン版・お役所仕事かな」というのが正直な感想だ。
意地といえば、道路名を示す標識もそうだ。ドイツでは細い路地に至るまで、道路には名前がつけられている。壁で途切れた道なき道、特に夏場は草に埋もれるような壁際の道も、ちゃんと名前を持っていて、道路名を示す標識もしっかり立てられている。ここで見つけたのは「ベートーベン通り」と記されたもの。場所に似合わないほど立派な名前がつけられているが、これは仕方あるまい。
壁越しに監視塔が見えた。上部に監視室があって中に警備兵が詰めているのだが、1人しか見えない。兵士自身の逃亡を防ぐため、必ず複数で警備にあたるはずだ。「おかしいな」と思ったら、他の1人はなんと監視室の屋根の上で日光浴をしていた。さすが〝辺境〟と言うべきか。ベルリン中心部と違って、このあたりでは壁の向こうの東独側は一面の草原地帯。そもそも亡命者が見つからずに境界地帯に近付くこと自体が困難なので、自然と警備ものんびりしたものになるらしい。
日光浴中の警備兵の写真を撮ってやれ、と思ってカメラを構えようとした。すると、望遠レンズに交換している僕の気配を感じたのか、サッと隠れてしまった。監視室から屋根に上がるためのフタ(ハッチ)の後ろに身を潜めている。そこから、そーっと顔を少しだけ出して僕の様子をうかがっている。そして今度は監視室の同僚から双眼鏡を受け取って、じーっと僕を観察し始めた。彼らは西側から撮影されることにはかなり神経質だ。特に屋根の上でのん気に日向ぼっこなんかしていたところをうっかり撮られて西側のメディアで発表でもされたら、本人にとっては一大事だ。東独では任務放棄とみなされて厳しい処分を受ける恐れがあるからだ。その後の人生が破たんする可能性すらある。
しばらく行くと駐留米軍の演習場が出現、壁際は歩けなくなるので迂回せざるを得ない。この演習場は東西南北に1キロ以上の広さがあって、壁際にピタリとくっついている。ベルリンでは人里離れた所で、広いスペースが取れるのは壁際くらいしかないことが分かる。敷地は「実弾使用」「立ち入り禁止」といった警告標識とともに金網で囲われている。さぞや厳重に警戒されているかと思ったら、基地の出入り口でよく見かける遮断機付きのゲートのような設備も、見張りの兵士も見当たらない。物々しい雰囲気はないのだが、ドンパチしている音も聞こえてこないし、中でどんな演習が行われているのか知る由も無い。演習の内容より、この先2キロは壁伝いに歩けないことの方が僕にとってはずっと残念だ。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |