2003年4月号(Vol.25)掲載 (2020年8月8日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第22回 壁に見る倹約の心
松浦 孝久

 運河沿いに歩く。向こう岸にある境界線に立っているのは、コンクリートの壁ではなく金網なので、その裏の無人地帯が透けて見える。歩哨に立っている2人の兵士は、僕がカメラを構えると双眼鏡で確認してから司令部に電話連絡している。いつものパターンだ。このあたりで運河は左手に折れ曲がってテルトウ運河として東西ベルリンの境界を走っていく。

ブリッツ運河支流。検問所は左の方向だ。このへんまで来ると田舎風の風景が広がる。

境界線に立つのは金網なので、向こう側の警備の様子が透けて見える。監視塔や2人の警備兵が立っているのが分かる。

2人の警備兵が僕を(きっと)疑いのまなざしで見ている。右の兵士は双眼鏡を構えている。

運河の三叉路。左側が、これまで歩いてきたブリッツ運河支流。境界線は右の方向、テルトウ運河沿いに続いていく。


 変化のない風景が続くので退屈していると、ちょっと変な光景に出会った。運河に橋がかかっている。シュペート橋だ。壁ができたために現在では役に立っていないが、それでも橋そのものは残っていて向こう岸に渡れる。ちなみに運河の水域自体は西ベルリン側に属しているので、橋を渡るまでは西ベルリンにいることになる。
 変な光景というのは、いまだに橋が残っていることじゃない。運河沿いの金網を目で追っていくと、橋がかかっている部分だけ、つまり10~20メートルくらいの幅が金網でなくコンクリートの壁になっているのだ。西ベルリン側から橋の向こうを覗き込むと、「おお、ちゃんとした壁があるぞ」と見えるけれども、橋をはずれた部分では金網になっている。ちょっと離れた所から見ると、橋のある場所だけ壁になっている様子が分かって、間抜けな感じすらする。映画のセットとでも言うべきか、あるいは「張りぼて」という言葉が頭に浮かんでくる。しかし、「カッコ悪いぞ、東ドイツ!」なんていう見かけとは裏腹に、どうやら敵もしたたかに計算しているようなのだ。

マッサンテ橋。橋の向こうにはコンクリートの立派な壁が立っている。まったく不自然な感じではない。

しかし横から見ると…。壁は、ほんの一部しか作られていないことが分かる。なんだかカッコ悪い。

シュペート橋。やはりコンクリートの壁は橋の所にしか作られていない。

シュペート橋の左手。壁と金網の境目。無人地帯には監視塔が立ち、その裏には民家が見える。


 東ドイツ側の境界管理は、いかにして西ベルリンへの亡命を阻止するか、ということを最重視する。金網だとトラックなど重量感のある車両で強行突破される恐れがある。特にその金網の向こうに橋があれば、そのまま西ベルリンへ突入し、亡命成功!!という事態もありうる。逆に西ベルリン側から橋を通って突っ込まれる可能性だってある。西側から突っ込む理由として考えられるのは、例えば単純に東への敵意からくる嫌がらせかも知れないし、あるいは東ドイツが最も神経を尖らせる亡命を支援するための行動かも知れない。しかし、金網ではなくコンクリートの壁だったら戦車でもない限り、たとえ突っ込んでもブチ破ることは不可能だ。

運河自体は西ベルリン側の領域。西ベルリン水上警察のボートがパトロールしている。

橋を渡り対岸に行き、金網越しに無人地帯を見てみた。バリケードが置かれている。
無人地帯の向こうに出入り口があるので、車両による突破を阻止するためだ。

監視塔の手前に軍用車がとまっていて中には兵士が。時間をつぶしているようにも見えるが、これも監視の任務なのだ。

僕が写真を撮っているので左側の警備兵が司令部に電話連絡している。
右の兵士は体を向こうに向けて顔を撮られないようにしているが、やはり気になって思わずこちらを振り向いた。


 なら境界線上にすべてコンクリート壁を築けばよい、という当たり前の結論に達するが、そうするにはコストがかかり過ぎるのだ。独自のルートから入手した東ドイツの機密情報で、壁と金網の建設費用(長さ1キロあたり)を比べてみよう。
▼ コンクリート壁・・・82万8,100マルク
▼ 金網・・・・・・・・13万5,900マルク
 単位はマルクなんだけれど、西ドイツのマルクじゃなく東ドイツの通貨なので、日本円でいくらなのかと換算するのは難しい。しかし単純にこの金額で比べると、金網の方が建設コストが6分の1以下であることが分かる。管理上、重要と思われる場所にはコンクリートの壁を作り、その他は安上がりな金網にする…。ちゃんと考えているじゃないか。決して、こけおどしのためや、まして笑いを取るためではなかったのだ。
 このテルトウ運河の境界線は約6キロ続く。シュペート橋の南にはエルンスト・ケラー橋、さらに南下してマッサンテ橋と、全部で橋が3か所ある。いずれも橋のかかっている所にはコンクリートの壁が作られるという同じ構造になっている。

エルンスト・ケラー橋。ここも橋の先はコンクリートの壁になっている。

エルンスト・ケラー橋。橋を外れた所は金網になっている。

監視塔の左に立っている送電線の鉄塔に注目。T字型をしているのは東欧では標準的な形とされる。

無人地帯を走る軍用車。右手後方に東ベルリンにあるテレビ塔のシルエットが見える。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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