2001年10月号(Vol.8)掲載 (2019年3月9日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第8回 監視塔を監視?する教会
松浦 孝久

 無人地帯を駆け抜けていったウサギの姿が見えなくなったので、物見台の上から僕は右手の方に目をやった。もともとはベルリンの中心付近で土地に余裕はないはずなのに、贅沢なことに無人地帯が広~く作られている。「サッカーのコートがまるまるひとつ入りそうだね。それにしても土地を遊ばせてるだけじゃないか」。こういう風に貴重な土地を無駄に使うのが原因なのだろう。ベルリンの家賃の高さは有名だ。でも、よく考えたらこれは東ドイツがやってることなので、西ベルリンには関係なかった…。

物見台から右の方を見たところ。壁の裏に広がる無人地帯が広いのが分かる。

 

 正面に大型の監視塔が立っている。左手に見える白い細身のに比べると高さは同じくらいだけど、広さは4倍以上ありそうだ。色は茶色。上のほうに窓があって中に警備兵がいる。屋上には他の監視塔と同じようにサーチライトが取り付けられている。壁の全長は160キロほどあるが、情報によると、いくつもの地区に分割されて監視されており、この大型の監視塔は地区をまとめる中心になってるらしい。そこには小隊長とでもいうべきリーダーがいて、周辺の小型監視塔や歩哨の兵士から情報を受けたり、逆に指示を出したりしているという。

アップにしてみると、大型の監視塔、そしてその後ろには、さらに大きなミヒャエル教会が見える。

 

 物見台を降りて右手に歩き始めた。ヴァルデマール通りだ。例のノアール氏の絵が続いている。このあたりは人口密集地帯であるうえ、「自称・芸術家」っぽい人も多いためか、壁にはびっしりと絵や落書きが施されている。壁にぶつかるような感じで1台の廃車が置かれている。というか捨てられているというべきか。タイヤは外され、窓ガラスも当然ない。面白いのは、この車もポップな雰囲気の柄にペイントされていることだ。もしかしたら、車も意図的に置かれたもので、壁の彩色と合わせてひとつのアートになっているのだろうか。「訳が分からないのもベルリンでは当たり前さ」と納得。車が置かれているのは壁際で東ベルリンに属している土地だから、西ベルリン市も処分できないのではないだろうか。もっとも〝芸術〟であるなら撤去の必要はないか。

壁際にあった廃車。壁と同じような調子でペイントされていて、まるで保護色だ。そういう効果を狙った芸術のつもりだろうか。

 この壁の右手にアパートがあって、階段を上れば東側を望めそうなポジション。さっそく人目をはばかりながらお邪魔してみた。すると。おおー、壁の向こう側がよく見える。すごいのは監視塔の背後にそびえるミヒャエル教会だ。でかい。迫力のある造りだ。監視塔が小さく見える。こんな教会に後ろからにらまれては、警備兵も、たとえ亡命者を見つけても絶対に撃てないんじゃないか。そんなことを東ドイツ当局も意識していたとすれば、ここの無人地帯をこんなに広く作っていることも分かる。無人地帯を広くすれば、この場所で亡命しようとする人はいないだろう。警備兵が射撃する可能性も低くなるというものだ。もちろん真偽のほどは定かではない。

道路沿いのアパートの階段から撮った監視塔とミヒャエル教会。その立派さが分かる。

アパートから左手を見ると、壁の向こうの東ベルリンの街がよく分かる。
左手に白い監視塔があって、その背後には道路が見える。川が近いせいか白い水鳥がたくさんいるのも見える。

アパートから右側を見る。壁は左手に曲がっている。だから正面に並んでいるアパートは西ベルリンだ。

 

 アパートを出て壁沿いに歩いていると、散歩中の保育園の子供達とすれ違った。壁際は交通量も少ないので歩きやすい。でも保母さんたちも、子供達には壁のことは教えてないだろうなぁ。西とか東とか言っても子供は理解できないし、そんな小さな子供に教える必要もない。やがて壁は左に曲がる。一緒に左に折れる道がロイシュン通り。ちょうどミヒャエル教会前の広場につながる道だ。壁がなければ、そうとう立派な、見栄えのする場所なんだろうなと思う。大きな教会の前に広場。その広場が今では無人地帯と化していて、無粋な監視塔が立ち、市民が入ることは不可能だ。

壁際を散歩する子供達。交通量は少なくて安全なのだが、壁際には工事用の砂が置かれていて歩きにくそう。

ヴァルデマール通りから壁が左に曲がる所。
看板が右に立っていて、この路地が東ベルリンに属していることを警告している。市民が歩くぶんには問題ない。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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