2001年6月号(Vol.4)掲載 (2018年12月12日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第4回 「壁と生きる知恵」
松浦 孝久

 人気(ひとけ)のないコマンダンテン通りを壁伝いに歩いていくと、西ベルリン側は雰囲気がちょっと落ち着いてきて住宅街になってきた。住宅といっても、基本は3~4階建て以上のアパートだ。土地の値段が高いためか一戸建ては見られない。

「ポツダム広場から2キロしか離れていないのに。この静けさは何だ?」

 壁は相変わらず道に沿って右へ左へと忙しく走っている。壁沿いの建物は比較的新しく建てられた物件のように見える。そのためか、ちょっとした工夫が凝らされている。

住宅街に立つ壁。道路が寸断されているため交通量が少ない。

工場などの壁だと思えば違和感もない?

壁際を歩く地元の子供達。写真右には、東西ベルリンの境界を示す看板が立っていた。
木製なのでいたずらで壊され、今では高さ3メートルほどの杭が残るだけだ。

壁が直角に折れ曲がっている。右手には監視塔、左手には東ベルリンのテレビ塔も見える。


 壁は厳密な境界線より東ベルリン側に奥まった所に立ってる。境界線が道路の端にある場合、建物を出た途端に東ベルリンに入ることになるケースがある。特に戦前からあるような古い建物は殆どがこれに当たる。だけど今僕が歩いている付近の新しいアパートは、意図的に境界線から西ベルリン側に下がった位置に建てられているようなのだ。これなら玄関を出る、歩く、といったことが西ベルリン内で可能だ。そして境界線ギリギリあたりには木が生垣のように植えられていて、簾(すだれ)みたいに壁を隠す効果を果たしている。

右手には生垣のように木が植えられており、壁を隠すようになっている。
看板は東西ベルリンの境界を示すものだが、やはり誰かがいたずらして向きが逆になってしまっている。


「なるほど。壁と生きる知恵か…。壁自体は木に隠れて見えないかも知れないが、上の階に住む人は、壁の向こうにある監視塔や警備兵は嫌でも視界に入るよなぁ」
とは誰でも考えることだ。でもこれを「うらやましい」と思うのは僕だけか。

右手には西ベルリンのアパートがある。
本来の境界線より後ろに下がった位置に建てられたため、玄関を出たところが東ベルリン、ということはない。

高い木を壁沿いに植えて目隠しにしているが、葉っぱがないと透けて見えるのが難?


 ところで、この辺の市街地に立っている壁はコンクリート製の頑丈なもので、一般に「第4世代の壁」と呼ばれている。1976年から配備が始まった最新型だ。高さ3.6メートル、幅1.2メートルのブロックを並べてできている。この1個 のブロックの値段は東独の貨幣で359マルクらしい。東側のお金なんて価値が殆どないから日本円への換算は難しい。内部には鉄筋が入っていて、そのままでは戦車すら通さないという。しかも上には直径40センチのパイプが取り付けられている。これは亡命者が壁を乗り越えようとする際、手やフックをかけにくくする措置らしい。


 かわりばえのしない住宅街なので、ついこんなことを考えながら歩いていると…突然、目の前がパァーッと開けた。と思ったら本当に壁が開いている。

 検問所だ。

住宅街に突如現れた検問所。
向こう側に見えるアパートは東ベルリンの住宅だ。あっちもこっちも住宅ぎりぎりのところに壁があるのだ。


 チェックポイント・チャーリーから2キロ弱。ハインリッヒ・ハイネ通り検問所だ。目の前の検問所入り口部分には東独側の監視小屋もある。僕がカメラを持って検問所を見ているためか、中からは警備兵がじっとこちらの様子をうかがっている。しかも、至近距離なのに、ご丁寧に双眼鏡で見ている。外を見やすくするためか、はたまた小屋の中を覗かれないようにするためか、小屋の中は薄暗くなっている。そのうち警備兵が電話をとり、司令部へ何かを報告しているようだ。不気味だ。ちょっとドキドキする。

検問所入り口にある監視小屋。窓の左奥に見える陰が、こちらの動きを警戒する警備兵。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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